< Blog > 超知能AIの誕生と母性について

公開日:2026/09/11(金) 更新日:2026/09/11(金) すべてスタッフブログ

皆さんこんにちは。

ソラマドおおいたの造士です。

朝晩がしっかり涼しくなり、波と感覚の狭さはあれど、ちゃんと四季がまだある事を感じる今日この頃。

さて、今日のブログは超知能AIの誕生(まだだけど)と母性について、考えたことを少し書いてみたいと思います。

あと今回のブログに挿入している写真はブログの内容とは全く関係ない写真ですが、今は無き、私が愛してやまない「焼き鳥ぶんご」48年の歴史ラストの日の一日です。

情報多めで目と頭が追いつかないかもですが、ブログの内容も含め「ぶんご時間」もお楽しみください。

私は読書が好きです。

他にやらないといけない事がたくさんあるのですが、興味が優って知りたい欲求を埋めがちです。

そんな私の最近の興味は、超知能AIです。

最近「超知能AIをつくれば人類は絶滅する」という本を読みまして、いろいろと考えさせられた次第です。

この本に書かれている「超知能AI」とは、いま皆さんが使っている ChatGPT や Gemini や ClaudeCode などの便利なAIのレベルを遥かに超えた、現代の地球上の人類のメタクソ頭がいい人の能力を全員集めても敵わない、マジで神的な超知能AIをもし万が一誰かが作った瞬間に、人類は破滅の道を辿るという話です。

なんとなく理解はできるというか、可能性については『無くはないかもな』程度の想像力は働くかもですが、この本に書かれているある「ストーリー(仮説)」は非常にリアルで、むしろ必然だなと感じる内容です。

もちろん私たちが日々使っている「便利だね」レベルのAIは、開発され使うことに課題はゼロではないですが個人的には全否定しませんし、これらを活用する優位性の方が勝っていると思います。

しかしながら、なんでも「限度」というものがあって、そこを軽々しく越えると「後には戻れない」ゾーンに足を踏み入れるてしまう危険性を世の多くの人たちが知るべきだ、という著者の思いで書かれています。

この本の著者はアメリカで長くAIの能力に関してのテストを研究している科学者でして、ジャーナリストや社会学者が批評として書いたのでは無く、リアルに日々AIに向き合っている研究者が、リアルに感じた超知能AI開発の危険性について、警鐘として書いています。

もしご興味ある方は、Amazonでポチッとしてみてください。

「超知能AIをつくれば人類は絶滅する」

さて、この本の内容の紹介をココで書き出すとメチャクチャ長くなるので、本の内容ついては下記のYouTubeで分かりやすく解説しているので、良かったらご参照ください。

私がこの本を読んで感じたのは、なんとなくこういう危険で挑戦的な研究をやっている研究者って「男性」メインな気がします。

危険への感度が鈍い部類の男たちは一定数居てて、私もどちらかというとそっちの気配が強めです。

「危ない」を感じる感度はあるのですが、「ま〜なんとかなるか」と、どこか根拠のない自信で生きています。

でも、この超知能AI開発については、かなり私の中でアラームが鳴っています。

そしてこの開発に女性が多く関わっていたら、本能的に「こんな危ないものは開発せんどこう」と思い、ストップさせる気がするのです。

私の主観ではありますが、女性は危険に対してとても敏感で、母性をベースに危ないモノやコトから本能的に避けようとすると思うのです。

超知能AI開発への欲求はとても男性的であり、創り上げることに重きを置いて、人類にとって良き存在となるように正しく育てるプロセスを重視していないと感じます。

家づくりを天職としている私だからの「こじつけ論」ではなく、この感覚は特に私たちの提案するソラマド的なライフスタイルを楽しむ感性のベースになると思います。
 
モノとして欲しがる欲求も大切だと思いますが、その後の付き合い方への覚悟もどこか心の底にしっかりと備えてほしいのです。
 
 
カタチや性能も大切ですが、その価値観ばかりに固執して、その後の育て付き合っていくエネルギーと手間を愉しむ完成には、どこか女性的な「母性」のような感覚が必要なのでは?と思ったりするのです。
 
大きなチャレンジへの心理的なハードルをピョンと越える男性的な感性も瞬間的には必要ですし、永く飽きずに育てていける母性的な覚悟も持ち合わせた人たちが、私たちソラマドおおいたの施主さんとしての理想像であり、実際にそのような方達ばかりの事実に感謝したい今日この頃。
 
 

超性能・超快適・超便利の先には、何があるんでしょうか?

ハッキリ言って、私はそんな人生つまらないと思うのです。

不便と不条理の先に、発見と笑いと楽しさと工夫を見つけることに、人として体験し存在する個の意味があると信じています。

ちょっと長かったかもですが、最後まで読んで頂いてありがとうございます。

ちなみに、この「焼き鳥ぶんご」があった同じ場所に、いま同じ名前のお店が居抜きでありますが、店主も価値観もまったく違うお店です。

カタチをパクっても、同じにはならないのですよ。

ではまた次回。