皆さんこんにちは。
ソラマドの造士です。
今日は2022年12月30日、、、明日は大晦日ですね。
1年のリセット時期だからという訳ではありませんが、年末チョット時間の余裕があるので色々と思考を巡らせて、フト思ったことを書いてみますね。
突然ですが、僕はけっこうホリエモン(堀江貴文氏)の考え方が好きなんです。
たまに弱者を馬鹿にするような同意不可能なメッセージもありますが、、、。
そして、そのホリエモンは「持ち家大反対派」なんです。
そんな流れで今回「家を建てるという感性的合理性」というテーマですが、僕なりの今年最後のテーマ?で考えを書いてみたいと思います。
堀江さんの「持ち家大反対!」の理由ですが、家を持つことで人生においての拠点が固定されてしまうリスクや、経済的な合理性から考えると賃貸の方がまだリスクヘッジが効きやすい、ということなのです。ちなみに堀江さんは賃貸を越えて「ホテル生活」をされています。
彼の理由は納得もできるし、経済的環境の変化に対しての合理性という視点からはある意味事実だと思います。
でもそれは彼個人の価値観ですので、「俺はこう思う」という堀江さんの意見に対しては「ナルホドそうですか」で僕は良いと思います。
しかしながら、僕は「家を建てたい」人たちをサポートすることをライフワークとしていますし、何より「家づくり」と「建築」が大好きだから「家を建てる」というチャレンジ自体を全面的に肯定します。
そして、僕はその理由を「感性的合理性」という思いつきの造語で説明したいと思います。
僕は昭和40年代生まれで、その時はすでに社会が成熟しつつあり、人々の消費行動も成熟化していくなかで皆んなの欲求や関心は「生存・生活維持」からもっと社会的なものや自己実現のために注がれたきたと思います。
そんな価値観の多様性が認められる成熟した社会になった前提は、日本の高度成長期に「社会としての物質的な欲求」が満たされたからだと思うのです。
そして、その物質的な欲求が満たされた後にくる波は「心の充足や感性を表現する欲求」の波なんだと思うのです。
その欲求の波の順番は、個人レベルも同じだと考えます。
「服を買う」という物質的な欲求を満たしたら、次はオシャレして街にでて楽しい気持ちになりたい波がくるはず。
「車を買う」という物質的な欲求を満たしたら、次は友人や恋人などを乗せてドライブに行ったりして楽しい気持ちになりたい波がくるはず。
その延長線で考えると、「家を建てる」という物質的な欲求を満たしたら、次の波は、、?
なんとなく、想像しますよね ^_^
決して物質的な欲求は、そこで満たされる事はない次の感性的なシーンが有るのだと考えます。
でも、そんな物質的な欲求を満たした後に抱いてしまうと残念な感覚があるんです。
「飽きる」っていう感覚、、。
今までの人生で、そういう瞬間ってあったと思います。
「飽きる」っていう波きたら、本当に残念しかないですよね。
賃貸だとすぐにチェンジできますけど、、。
自分で建てたらなかなかチェンジできないのです。
だからこそ逆説的な言い方ですが、家は買っちゃいけないんです。
昔から「簡単に手に入るものは直ぐに飽きてしまう」って言いますよね。
だからこそ、時間と手間をかけて、自分の感性を注いで、唯一無二の「住まい」を僕らといっしょにつくるんです。
しかも自分で出来る手入れがチョット必要で、面倒を見ながら少しずつ自分で育てる家が良いのです。
そんな「家を建てる」という消費行動は、決して単純な物質欲求を満たすだけでは無いと思うのです。
経済的な合理性だけでは測れない、その先にある「心の充足」へ時間とエネルギーを注ぐようになるという「感性的合理性」が産まれる「装置」でもあるのでは?と思ったりするのです。
決して、僕らは家を買わせません。
一緒にワクワクしながら、悩みながら、一緒に答えを見つけてながら、少しずつカタチにしていくのです。
そんな人生ワクワク装置、一緒に来年考えはじめてみませんか?
皆さん、来年はご自身の「感性的合理性」を信じて素敵な消費行動をしてください。
簡単に手に入るモノは、簡単に飽きてしまうという人間の残念な性(サガ)。
ぜひ、ご自身の感性を信じて、ご自身の感性にフィットする良いモノ(価格として「高価なモノ」という意味ではありません)を、手に取り、眺めて、ずっと大事にしていきたいか?を考えて購入されてみてください。
そんな瞬間を感じれば、丁寧につくられたモノ(サービスも含めて)を自然と選ぶはず。
現代社会で生きていくうえで、消費なき人生は存在しませんので。
新年のモデルハウス営業は1月4日(水)からです。
ぜひお気軽にご予約ください!
では、良いお年を〜